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ロードス島攻防記

クレタ島をぎりぎり脱出し、ギリシャ最後の訪問先ロードス島へ。フェリーの中でうとうとしてると、ハルキ島に着くと言ってるようなアナウンスが聞こえてきました。遠い太鼓に出てきたハルキ島。そのうち行きたいと再訪を近いまたうとうと。気づくとフェリーが出港するところでした。時計を見ると6時半。チケットを買った代理店のおっちゃんは6時くらいにロードス着と言ってたような。さっきのハルキ島の時に時計を見てなかったのを激しく後悔しました。まさか、寝過ごしたか。東京の山の手線寝過ごしてもう一周なんて甘いもんじゃありません。気づいたら知らない島。すっかり目も覚め、キョドリモード。フェリーは8時を過ぎても港に着かず、いい加減不安になって船員に次の港の到着時刻を尋ねると(ロードス島とは怖くて聞けないので)8時半とのこと。さて、どこに着くのでしょう。だんだん島の姿が見えてくると、そこには写真で見たことのある要塞が。朝のどきどきは完全に杞憂に終わり、無事に到着できました。それにしても6時着って何情報だったんだろ。

はらはらとロードス島に到着したわけですが、出発前に塩野七生のロードス島攻防記もよんで予習はばっちり。港から一番近いところがヨハネ騎士団の生活した要塞?なので観光にも便利でした。ここが想像以上に素敵なとこで、中世的なものと現地の人の暮らしがちょうどいい感じに混ざっていて、適当に小道を歩いてもとても綺麗で楽しかったです。(なんか久々にまともなことを書いてる気がする)とてもお勧め、騎士の館?っぽいところも綺麗に復元されてて、ここで何とかさんと何とかさんがなんかしゃべってたんだろうなーとかロードス島攻防記を読みながら感慨に浸れました。本貸してくれてありがとうO田君。復習にまた貸してください。

その後はまたもや、CSで知り合った人の家に泊めてもらう予定だったのですが、2日前にOKの返事を受けてから詳細についてのメールを受け取っておらず、場所もはっきりわからない状態。荷物も預けられないので、ロードス島は縦走装備で観光しました。3時過ぎにやっとメールを受け取り、結構中心部から遠いことが判明慌ててバスに飛び乗りました。ところが、ロードス島のバスはたまにしかアナウンスが無ければ、電光掲示板も無い、果ては場所によってはバス停の表示すら無く、運転手に降りる場所を予め伝えておき教えてもらうようにしておきました。ナイス旅なれテーラー自分。が、最近の自分に予定通りという言葉あてはまったことがなく、降りる地名Soroniの看板を車窓から確認してからバス停を一つ過ぎ、そろそろかなと思いながらしばらく乗ってるとSoroniの看板に斜線がひかれたのが。(ヨーロッパでは街の出口に待ちの名前に斜線を引いた看板を置くようです。落書きみたいでなんか不思議)あれ、と思いつつバスはどんどん郊外チックな風景にあまりに怪しかったので、まだと確認するとbeforeとの返事。また、やられました。ギリシャの交通機関は嫌いだー。しかたなく来た道を20分くらい歩いて戻ったのでした。

結局7時半くらいまでバス停で待ってると陽気な西洋人集団が現れ、無事Jordanに会うことが出来ました。彼らはアメリカ人で夏休みプログラムで3ヶ月ロードス島で芸術の勉強をしているとか。全員ガチでアメリカンイングリッシュなのでかなり聞き取りにくいですが、みんないい人でした。ここに来て初めてタベルナでギリシャ料理を食べることが出来ましたし。食後は何故か地元の子供達とサッカーをしてその後屋上飲み会と色々と歓迎してくれました。そこでアメリカ流イッキも経験。ホースの先に漏斗のでっかいのを装着し、そこにビールを注ぎ込んで飲む人がホースを加えるというシステム。やらされましたが勿論即吹き出しました。やっぱりノミニケーションって大事ですね。中心部のユースホステルに泊まると10ユーロ。ここに来るとバス代が往復5ユーロでビール半ダース6ユーロくらいだったので決して節約にはなってませんが、なかなか面白い経験でした。

エーゲ海一カッコいい島ロードス
pamkale
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